東広島 あなたの知らない校章の世界【西条地区編】こんな意味があったなんて!
2020.10.15
あなたは、東広島の小学校や中学校の「校章」をじっくり見たことがありますか?
じっくり見ると、花の形や漢字がデザインされています。何でこんな形になったのか、どうしてこのモチーフなのか、いろいろと気になってきます。
そこで、東広島の各小学校・中学校に校章の由来や意味について聞きました✏
意外と知らない校章の世界へまいりましょう。
今回は西条地区編!
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明治6年に創設された私塾「興導館(こうどうかん)」「日新館(にっしんかん)」に源を発し、明治37年以来の輝かしい校訓「マジメニハタラケ」の教育理念が受け継がれ、今日まで長い歴史と伝統のある学校です。 |
1919年(大正8年)作成されたもの。郷田(ごうた)→五つのカタカナの「ウ」が田の周りを囲っているデザイン。 昔からの田園地帯であり、みんなで協力して米を育てようという思いから「田」が中心に置かれたという説もある。 |
由来を調べましたが、不明でした。 |
中国の故事に「晉武好文則梅開 廢學則 梅不開(晋の武帝が学問にはげめば梅の花が咲き,学問をやめると開かなかった)」があります。 この故事にちなみ、梅は「好文木」といわれ、学問を象徴する木とされています。この梅の花に寺西小学校の「寺」をあしらったものが本校の校章です。 |
東西条小学校の教諭平山玲子さんが提案したデザインです。西条小学校と同じ桜の花びらを取り入れています。 東の文字はまるくまるの中に小の字をデザイン。まるは人格円満を表わしおおらかな日本人の育成、知徳体一体とその調和を表しています。 知育偏重の世相の中で失われた日本人の「おおらかさ」を、そして日本の心を、新しき理念と古き調和のなかで育てたいという意味が込められています。 |
寺西小学校と川上小学校の校章は梅の花ということで、両校を分離・統合して開講した平岩小学校の校章も梅の花をデザインに取り入れている。 中の字は、平岩の「平」と「小」を組み合わせている。三本ずつのおしべは、平岩小学校、寺西小学校、川上小学校の3校を表している。 |
由来を調べましたが不明でした。 |
1200名近くのマンモス校となった西条小学校から平成13年4月に分離してできた小学校です。分離前の年、これから開講する三ツ城小学校の校章が公募され、選ばれたのが現在の校章です。 この作品は、当時、西条小学校の教諭が作成しました。この校章には次のような二つの意味が込められています。 ①西条小学校から分離したという誇りをいつまでも忘れないようにするために、西条小学校の校章に描かれている桜の花びらを取り入れたこと。 ②地域に根差した新しい小学校を作り上げようという思いを表現するために、前方後円墳である三ツ城古墳を表すデザインを取り入れたこと。 |
中央の三つの丸が三永の「三」、中にある永は三永の「永」。周りのひし形のような形を作っているのは福成寺の松葉、最後方の園(八角形)は鏡。 4本の松葉は、三永小学校がずっと続きますようにという願いと、校訓である「かしこく」「やさしく」「たくましく」「やりぬく」が表されている。鏡は、三永水源地やため池の水が透き通っていて光り輝いてることから、輝くものの象徴として取り入れられたとされている。 |
校章のデザインは平成29年度の寺西小学校5年生、6年生及び教職員を対象に募集した作品の中から選ばれました。寺西小学校の校章と同様に梅の花を用いています。 |
「板城、郷田、三永の三地域がまとまり、陽に向かい輝きを益し、未来に輝き続けていこう」という由来があります。 |
校章は昭和22年11月に制定されましたが、由来は不明でした。
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本校の校章は、西条中学校、寺西小学校、三ツ城小学校の児童・生徒及び教職員から公募し、1137点の中から選ばれました。「全員が力を合わせてすばらしい中学校にしていこう」という思いが込められています。 |
松賀中学校の頭文字であるMを力強く中央に配し、松には常に緑色の葉を絶やすことなく松のように清純でたくましい心の成長を願い、鋭く、三方に広がる図柄は、それぞれ知・徳・体を表すとともに、素直で明るく、まっすぐに伸び、大きく飛躍していく様を表現しました。 |
いかがでしたでしょうか!
子どもたちの成長を願うすてきな意味がこめられている校章がたくさんでしたね😊
次回は八本松地区編! お楽しみに✨
⭐校章の世界シリーズ⭐