賀茂台地の昔話 ~親父のかたみ(黒瀬町)~
2021.02.01
日本の代表的民話に「わらしべ長者(ちょうじゃ)」というのがあります。
一本の藁(わら)をもとにして、つぎつぎと人の困っているのを助けてやり、その度に一本のわらしべが次第に形をかえ、ついには長者になるというめでたい話ですが、それに似たような話がこの地方にもいくつかあり、今日はその一つ「親父(おやじ)のかたみ」をお話してみましょう。
黒瀬のあるところに男の兄弟がおりました。
お父さんが死にましたが、家が貧しいものですから、兄さんは弟に分けてやる物がありません。
ですが弟は欲のない男でしたから
「ええよ。何ももらわんでも。じゃが、それじゃ、あんやんが気がすむまあから、ここにある藁一把(たば)をかたみとしてもらうことにしよう」
といって、そこに積んであった藁一把(わ)をかついで家を出ました。
家を出た男は、ご城下(じょうか)の広島へ行ってみようと、歩いて瀬野のあたりまで来ますと、おばあさんが川で菜っぱを洗っていました。
立ちどまって見ていますと、おばあさんが
「あんた、ええもんもっちょる。その藁をくれんかいのー、菜っぱをしばるもんがのうて困っとったんじゃ」
といいます。
「うん、じゃが、こりゃ親父のかたみなんじゃけんのー」
といいますと、
「そんなら、この菜っぱとかえっこしよう。そんならよかろうがー」
それで、菜っぱ一把(わ)と藁一把(たば)をとりかえ、それをかついでまたどんどん広島へと歩きました。
やがて、広島のご城下へ入いり、京橋あたりまで来ますと、薪(まき)をいっぱい積んだ馬車が道のまん中で止まっていました。
一人の男が馬をたたいたり、引っぱったりしていますが、馬は動こうともしません。
見ると馬は苦しそうにハアハアとあらい息をしています。
「おじさん、そりゃ無理じゃ。馬が弱っとるでー」
「うん、そうじゃが、ここではどうにもならんので、困っとるんじゃ」
といいながら、男が菜っぱを持っているのを見ると
「おお、ええもんもっとる。そいつを馬にくわせたら動くかも知れん。そいつをくれんかい」
といいます。
「うん、でもこりゃ親父のかたみじゃけんのー」
と返事をしますと
「よし、わかった。それをくれたらこの薪(まき)一把をやろう」
と言われ、
「それならそうしよう」
と、取りかえっこをしました。
馬はおいしそうに菜っぱをたべ、それで元気が出たのでしょう。
やがて動きはじめました。
「わしゃ、これから広瀬の方までこの薪を納めに行くんじゃが乗っていかんか」
といいますので、馬車にのせてもらい、途中の鍛冶屋(かじや)町でおろしてもらいました。
鍛冶屋町とは今の本川小学校(広島市中区)のあたりです。
鍛冶屋が多くあり町の名になりました。
と、ある一軒の鍛冶屋の前で四、五人集まって焚火(たきび)をしておりました。
そこを通りかかりますと
「おい、そこの若いのー、その薪をくれんか、火が心細そうになって困っとったんじゃ」
と声をかけられました。
「うん、こりゃ親父のかたみなんじゃ」
と断りますと、鍛冶小屋の中から一本のさびた刀を持ち出して来て
「そんなら、これをやる。それならよかろうが」
といわれ、薪一把とさびた刀をとりかえることになりました。
男は行くあてもなくそのさびた刀をふりまわしながら本川橋、元安(もとやす)橋とわたって研屋(とぎや)町あたりまで来ました。
研屋町には刀のとぎ師がいてこれが町の名となり、今の立町と紙屋町との間にありました。
その研屋町を通っていると、店の中から
「おい、そこの若いの、その刀を見せてくれんか」
といって、刀を手にしじっと見ておりましたが、
「どうじゃ、これをわしに譲らんか」
といいます。
「うんじゃがこりゃ親父のかたみじゃけん」
と答えますと
「わかっとる。どうじゃ百両でどうじゃ」
「百両!」
「うん、百両じゃ」
それで、とうとうその刀は百両で売れることになりました。
男はその金をもって黒瀬へ帰り、田畑を買い、ついに分限者(ぶげんしゃ)となり、また兄と仲良く暮らしたということです。
めでたし、めでたしでした。
(話者・八本松町米満、天野 守氏)
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