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  • 賀茂台地の昔話 ~西条柿の由来(西条町)~
  • 賀茂台地の昔話 ~西条柿の由来(西条町)~

    2021.06.15

     

     

    すっかり秋になりました。柿が美しく色づいております。

    その柿の中でも特に西条柿、干柿(ほしがき)にしたらこれほど美味(おい)しい柿はありません。

    いや、熟柿(じゅくし)だって結構美味しいですよね。

     

    ところで、この西条柿、その発祥地はここの西条といわれ、面白(おもしろ)い話が伝わっています。

    その話をしてみましょう。

    聴(き)いて下さい。

     

    それは、七百四十年もの昔のことです。

    今の西条町寺家(じけ)の長福寺に良信(りょうしん)というお坊さんがおりました。

    それは年もせまった暦仁(れきにん)元年十二月二十九日の夜のことでした。

    良信さんが寝ている枕元にその長福寺のご本尊である薬師如来(やくしにょらい)がお立ちになり、次のようなお告げをなさいました。

     

    「黄金十枚をもって鎌倉の永福寺(ようふくじ)へ行き、その寺にどんな病気にもよく効く薬があるから買って来い」

    というものでした。

     

    良信さんは早速(さっそく)その旨(むね)を手紙に書き、黄金十枚をそえ弟子の信常(しんじょう)を鎌倉にやることにしました。

    信常さんは二十二日の日時を費(つい)やして永福寺に着きました。

     

    すると永福寺の快雅(かいが)というお坊さんが「いや、こっちにも不思議(ふしぎ)な霊夢(れいむ)があって、あんたの来るのを待っていたんだよ」といって、持って行った黄金を受け取ると仏殿に供え、最勝仁王経(さいしょうにおうきょう)をとなえ、そのあと黄金を下げて見ますと柿の種がついておりました。

     

    信常さんはその黄金と柿の種をもらって長福寺に帰り、良信さんに渡しました。

    ところがその晩、良信さんはまたも夢で「その黄金と柿の種をそのまま鎮守堂(ちんじゅどう)の脇に埋めよ」というお告げを受けました。

     

    良信さんがお告げの通りにしましたら、その柿の種は芽を出し、だんだん大きくなり、七年目にはじめて十二個の実がなりました。

    そのうち一個は熟(じゅく)しましたので良信さんが味わい、残りの十一個は皮をむいで干柿にしました。

    やがて秋の陽はこの柿を渋色(しぶいろ)の美味そうな干柿にしてくれました。

    良信さんはその内の六個を因縁(いんねん)のある永福寺へ献上(けんじょう)しました。

     

    ちょうどそのころ、将軍藤原頼経(よりつね)公の若君が、疱瘡(ほうそう)という病気にかかって苦しんでおられました。

    医者よ薬よと手を尽(つ)くしましたが、さっぱりききめはあらわれませんでした。

     

    そうしたとき、鎌倉に文元(ぶくげん)という有名な陰陽師(おんみょうじ)がいました。

    将軍家ではその文元をよんで加持祈祷(かじきとう)をさせましたが、これとて効果はありませんでした。

    しかし、その文元が、これもお告げによって永福寺に良薬(りょうやく)があることを知らされ、その旨を言上(ごんじょう)しました。

     

    早速、使者が永福寺におもむきそのことを告げますと

     「芸州西条長福寺の薬師如来の霊夢によって得られた干柿が届いております。良薬というのはそのことでありましょうか」

    と、その干柿を渡しました。

    将軍家では早速その干柿を若君に差し上げますと、どうでしょう、薬や祈祷ではどうにもならなかった疱瘡(ほうそう)の病がたちまち全快(ぜんかい)しました。

    全快された若君は、六歳で元服され、将軍になられました。

    世にいう鎌倉幕府第五代将軍藤原頼嗣(ふじわらのよりつぐ)がこの人であります。

     

    この功績によって長福寺は西条寺家村の中で良田(りょうでん)八町を賜(たま)うことになりました。

    こうした因縁により柿は❝最上❞のものとされ、それを西条の地名をもじって「西条柿」と名付けられ、代々、将軍家へ献上する習わしになったということであります。

     

    このお話は地元に残る長福寺縁起(えんぎ)に載っていますが、あくまでも伝説の域を出ません。

    しかし、歴史的なことを二、三付け加えておきましょう。

     

    長福寺には県指定の重要文化財薬師如来坐像(ざぞう)が安置(あんち)されております。

     

    鎌倉永福寺は源頼朝が奥州征伐(おうしゅうせいばつ)の後、戦死者の霊を弔(とむら)うため二階堂というところへ建立(こんりゅう)しましたが、今は寺はなく、寺跡が史跡となっています。

     

    若君、のちの頼嗣が疱瘡を病んだことは吾妻鏡(あづまかがみ)という本の寛元元年(一二四三)九月十九日のところに、また、翌十月一日に病気が平癒(へいゆ)したと出ています。

    ただし、干柿をたべてとは書いてありません。残念です。

    この頼嗣という人、弱かったらしくよく病気をしていたようです。

     

    ところで、お宅、もう西条柿を干柿にされましたか?

    お忙しいでしょうが忘れないように是非(ぜひ)ともなさって下さい。

    お宅の前を通りかかって、干柿がぶら下がっていたら、ああこのお家、西条柿の話を知っておられるなーと思うことにしますから。

     

     

    前回のお話はこちらから

    1.幽霊が飴玉を買いに来た話(八本松町)

     

    2.きつねに化かされたはなし(高屋町)

     

    3.きつねをだました話(河内町)

     

    4.旦過寺のタヌキ和尚(西条町)

     

    5.身体のけんか(各町)

     

    6.お松明神(黒瀬町)

     

    7.ヘビとカエルとミミズとナメクジ(福富町)

     

    8.亀と猿とアブの恩返し(福富町)

     

    9.つばめとすずめ(八本松町)

     

    10.茗荷と財布(福富町 西条町)

     

    11.親父のかたみ(黒瀬町)

     

    12.薬師如来に助けられた話(志和町)

     

    13.黒河のまむし(八本松町)

     

    14.曽場が山のみぎす岩(八本松町)

     

    15.狐のお産を助けてやった医者(志和町)

     

    16.いのう・いのうと鳴る鐘(志和町)

     

    17.盗まれても帰ってきた観音さん(志和町・大和町・福富町)

     

    18.弘法大師とおばば(八本松町ほか)

     

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