賀茂台地の昔話 ~黒河のまむし(八本松町)~
2021.03.15
むかし、むかし、原に―、原といえば今の八本松町ですがのー、その原の黒河というところに安盛さんちゅう郷士(ごうし)がおりんさったそうな。
この人は不思議(ふしぎ)な人でのー、何んでも蛇が大好きで、それもよりによってあのいびせい、はみを可愛(かわい)がっとりんさったと。
はみ いうたらそうあの毒(どく)をもっとる まむし、のことじゃけん。
おお、気色(きしょく)わるい!
わしゃいびしょうてならんがのー。
ところがの、はみの方もの、そりょうよう知っちょって、安盛さんになついとって、安盛さんが行くところへ、まるで家来(けらい)が主人のあとをお供をするようについて行っては安盛さんが下りてくるまで、何時間でもその履物(はきもの)の上へとぐろを巻いて、番をしながら待ちょったそうな。
感心なもんじゃ、とみんなが評判(ひょうばん)にするほどじゃった。
それがのー、ある日のことじゃった。
安盛さんが、よそのうちへ行って、帰ろうと思うてのー、草履(ぞうり)をはこうとすると、おんなしように、はみが、その上にうずくまっちょる。
声をかけてやりゃよかったんじゃが、いつものことを思うて、よけてはこうとしたんじゃげなが、酒に酔うとったもんじゃから、よろけて足が、はみにさわったんじゃと。
びっくりこいたはみは、ここが畜生(ちくしょう)のあさましさ、主人じゃいうことを忘れて、その足へ「がぶり」とやったんじゃそうな。
安盛さんは思わず「痛いッ!」と、足をおさえてそこへうずくまり、はみをにらみつけて
「わりゃ、主人にかみつくとは何事じゃ、けしからん! 今日からひまを出す。どこへないと、行ってしまえ!」
と、前後を忘れてどなってしもうて、はみを追い出したんじゃそうな。
そしたら、それまでまめに主人を守っておった、はみは悲しそうに、しょんぼりしたかっこうで出て行ってしもうたげな。
そうしてのー、それから三日のちのことじゃった。
どこからとなくその、はみ、が出て来てのー、毒が身体にまわって「うん、うん」うなって寝ちょる安盛さんの枕もとへ来たそうなー。
みると何んの草か知らんが草をくわえちょる。
そりょうの、そこへおいておわびするようにペロペロべろを出して、また、どこかへ行ってしもうたげな。
夜が明けてみると、なんとその、はみ は戸口(とぐち)のところで死んでしもうとったと。
安盛さんは、この草を疵(きずくち)へつけてみいということじゃとさとって、さっそく手でもんでやわらかくしてつけたんじゃと。
そしたら、あれだけうんうんうなっちょった痛みが、うそのようにけろっとなおって、みるみるうちに元気になって、家のもんがびっくりするほどじゃったそうな。
安盛さんは、はみを追い出したりせなんだら死にゃせなんだろうに、かわいそうなことをしたと悔やんだそうじゃが、どうにもならんことじゃった。
それからのちというものはのー、不思議なことにのー、うじゃうじゃするほどおった、はみがこの辺から一匹もおらんようになったちゅうことじゃ。
あの恐ろしい、はみでも、可愛がってやりゃ、こがいなことをするんじゃねえ。
あんたもの、むやみに生きもんを殺したりしんさんなよ。
可愛がっちゃりんさいよ。
いつか恩がえしをしてくれるかも知れんけえのー。
よういうときますでー。
このお話は、文政二年に原村から藩(はん)へ書き出した原村国郡志御用ニ付下調書出帳にあったものです。
今から百年前のこと、寺家村の西が谷というところの池の土手が切れて水が流れ出たそうです。
そしてその水に流されたはみが二匹、この原の黒河の堤の上で死んでいたといいます。
それ以後、この黒河でははみを見ることがなくなったとも伝えています。
(原村国郡志書上帳)
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