賀茂台地の昔話 ~曽場が山のみぎす岩(八本松町)~
2021.04.01
八本松駅の西に高い山がありますね。
大山(おおやま)といいますが、曽場(そば)が山ともよんでおります。
昔のお城のあったところで、くるわの跡(あと)や石垣(いしがき)、それに深い井戸もありましたが、今は蓋(ふた)がされてわからなくなっています。
この城が作られたのは平安時代の昔、平清盛が安芸国の国主(こくしゅ)であったときといわれ、その名の曽場が城というのは、山肌一面にそばを植えてすべって上へあがれないようにしたので、その名が出たといいます。
どこの城でもかならず鬼門(きもん)の方向というのがあって、とくに艮(うしとら)方向、今でいう東北がそれで、その方向のあるところへ神や仏を祀(まつ)って鬼門除(よ)けをしますが、この曽場が城も東北の方向、今坂(いまさか)へ一つのお堂を建てました。それがのちの永沢(えいたく)寺となりました。
この寺は再三(さいさん)移りかわって現在では、今の八本松駅の西約四百メートルの国道ぞいに、それも曽場が城山へぴたりと向けて建てられています。
時代がかわってもこの城山の鬼門除けであったという、誠(まこと)に不思議(ふしぎ)なものを感じさされます。
永沢寺はこの話にあるように平安時代建てられたものであろうと思われる古い年号の入った小さな仏像が安置(あんち)されています。
その後、曽場が城はこの地をいち早く支配した周防(すほう)山口の大内氏が属城(ぞくじょう)としますが、戦国時代の大永年間安芸へ南下して来た出雲尼子(あまこ)氏によって落城した話も伝えられ、そのときの戦いで戦死した人々を葬(ほうむ)った千人塚というのも数年前まで残っておりました。
昔から宝物が埋(う)めてあるという伝説があるのですが、どうでしょうか。
この曽場が城の東側五合目あたりに「みぎす岩」とよぶ奇岩(きがん)があります。
大きなものです。ちょうど「むぎ臼(うす)」のような形をしているところからこの名が出たと思います。
今は木がよく立っていて里から見えませんが、昔はよく見えていて、田の水をひくときなど、この岩への日のかげりをみて、時間の目安(めやす)にしていたといいます。
今では、もと川上村とよんでいた時代に、戦争で戦死したり、原爆で亡くなった人々の霊をなぐさめるため、その名を彫(ほ)りこんで供養塔(くようとう)となっております。
毎年盆になると川上地区の婦人会の皆さんは灯籠(とうろう)を供え供養(くよう)をしておられます。
さて、このみぎす岩にも多くの伝説があります。
毎年大つもごりになると金の鳥がとんできてとまり、美しい声で啼(な)き、それで年が改(あらた)まったといいます。
また、節分になるとどこからとなく山姥(やまうば)が現われてきて、このみぎす岩で豆腐をつくる豆をひいたといい、その日には臼から白い液体のような模様(もよう)が流れるのが、里からくっきりみえたという人がたくさんおりました。
それにまた、ここにはグンインさんが住んでおりました。グンインさんとは天狗(てんぐ)のことです。
あるとき、里の女の人が三人つれだってこのみぎす岩へ登って来ました。
すると、のこぎりのようなもので木をひく音がしてきました。
三人は木こりが木をひいているのであろうと思っておりますと、今度は斧(おの)でコキン、コキンと木を伐(き)る音が真近(まぢか)でしだしました。
どこに木こりがいるのであろうとあたりを見ましたが何もおりません。
「どうしたのだろう? 何(な)んだろう?」といぶかっておりますと、コキン、コキンとしていた音が、ものすごい音になり、ざあっと三人におそいかかってきました。
それこそ氷水(こおりみず)をかけられたようでした。
三人は「うああっ! グンインさんだ!」と青くなって、夢中(むちゅう)になって逃げ帰りました。
それからというものは、この山に天狗がいると誰も信じて疑わなくなりました。
皆さんもいっぺん登ってみて下さい。
そしてコキン、コキンときこえたら、それはグンインさんだと思って下さい。
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