東広島 あなたの知らない校章の世界【福富・豊栄・河内地区編】こんな意味があったなんて!
2020.12.21
あなたは、東広島の小学校や中学校の「校章」をじっくり見たことがありますか?
じっくり見ると、花の形や漢字がデザインされています。何でこんな形になったのか、どうしてこのモチーフなのか、いろいろと気になってきます。
そこで、東広島の各小学校・中学校に校章の由来や意味について聞きました✏
意外と知らない校章の世界へまいりましょう。
今回は福富・豊栄・河内地区編!
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【福富地区】
福富小学校が開校する前に福富町にあった、竹仁小学校を表すシャクナゲの花と、久芳小学校の校章に用いられていた鷹の羽を組み合わせています。 空の青、川の青も取り入れた色鮮やかな校章になっています。 |
久芳小学校(令和3年3月に閉校) | ||
明治6年の学制施行により「修道館」として発足した久芳小学校の校章は、昭和7年に制定されました。 県の中央に位置し、東広島市の最高峰(922m)である、校区内の鷹ノ巣山から、鷹の羽をモチーフとして、未来に向かって雄々しく羽ばたく一人ひとりが巣立っていける学校となるようにとの思いで作られました。 |
竹仁小学校(令和3年3月に閉校) | ||
日本の国花である桜(サクラ)の花と竹仁(たけに)地域の竹(タケ)の笹(ササ)を形どったものです。 |
詳しいことは不明ですが、竹仁、久芳、上戸野の3つの地域を表す葉は、旧福富町の町の樹木であるナツツバキと思われます。 |
【豊栄地区】
1993年春、第一期統合した豊栄小の校章が決定。校章は73点の公募の中から3点(当時:豊栄小5年住川友浩君、豊栄中1年井上智奈津さん、乃美小鹿田千鶴子養護教諭)のいいところを合作したもの。 図案は、小の字を六つの半円(6校が結集した)が囲んでいます。 色彩は地色がエンジで6つの半円が白です。中央の「小」の字が金色で、半円内が濃紺となり、希望向上を表す色となりました。 |
本校は、昭和22年(1947年)4月1日、豊田郡豊栄村立豊栄中学校として創立しました。同年5月5日、校章が制定されました。 新制中学校の発足を表す「中」の字を4つの「ト」で囲むデザインとなっています。 |
【河内地区】
校章は令和元年度より使用開始されました。河内小学校、河内西小学校が統合する際に考えられたものです。平成31年3月両校にお披露目式で披露されました。平成30年9月、地域の方が発案された内容に基づき、統合準備会で決定されたデザインになります。 これは、河内小学校と河内西小学校のそれぞれの校章を合わせて作ったデザインです。一緒になる学校が互いの学校の良さを生かして、より素晴らしい学校になるようにという願いが込められています。 ペン先をイメージした三角の部分の数を数えてみると、5つあります。これは、河内・河戸・宇山・戸野・小田の5つの地区が協働していくシンボルとして表現されています。 色は、河内町の「水と緑の若い町」というキャッチコピーを使用した経緯があります。それを表すために水色、赤、緑が使われています。色々な人の思いや願いが込められて作られています。 |
校章の中の字「誠(まこと)」とは、まごころ、まじめで心がこもっていること、人に対して親切で、だましたり、ばかにしたりしないこと、まじめにやさしく生きるという思いが込められています。 |
中央の「中」の漢字は中学校を表し、4つの角は、万年筆のペンの部分を表しています。 4つのペンは校訓を表しています。校訓は、友愛「友を大切に」、協力「力を合わせること」、思考「まず、考えること」、実践「そして行動してみること」です。 |
いかがでしたでしょうか!子どもたちの成長を願うすてきな意味がこめられている校章がたくさんでしたね😊
⭐校章の世界シリーズ⭐