賀茂台地の昔話 ~つばめとすずめ(八本松町)~
2021.01.01
日曜日の朝です。
ゆっくり朝寝(あさね)を楽しんでおりますと、早起きのつばめが家の前の電線にとまって「ぺちゃくちゃ」さえずっているのがきこえて、うつらうつらの状態(じょうたい)を一層深いものにしてくれます。
ところで、このつばめのさえずり方には一種独特(どくとく)なものがあります。
すずめは「チュンチュン」と単調(たんちょう)ですが、つばめは「ぺちゃ、くちゃ」いって終わりの方を「つー」と、ひっぱります。耳をすませてみて下さい。
そら、ひっぱってさえずりましたでしょう。
あれはなんであのようなさえずり方をするかご存知(ぞんじ)ですか?
実はこんなことをいっているんですよ
「あっちいっちゃ泥(どろ)くい、こっちきちゃ虫くい、ちーとも面白(おもしろ)うない」
もう一ぺん、耳をすませてきいてみて下さい。
そら、そのとおりでしょう。
ではなぜ、つばめが「あっちいっちゃ泥くい、こっちきちゃ虫くい、ちーっとも面白うない」と、しゃべらなければならなくなったのか?
これには、こんな話があるんです。
むかしは、つばめはすずめと同じ鳥だったんです。
ところがあるとき、お父さんが急病(きゅうびょう)になり、すぐ来いと連絡がありました。
知らせを受けたすずめは、ふだん着のまますぐとんでいってお父さんの看病(かんびょう)をしましたが、つばめは頬(ほほ)べにをつけたり、燕尾服(えんびふく)を着たりして、おしゃれに時間を費(つい)やして、お父さんの看病どころか、その死に目にさえ会うことができませんでした。
これをご覧(らん)になった神様は、すずめには
「お前は、すぐとんでいってお父さんを看病してやり、よく孝行(こうこう)した。感心な奴(やつ)である。
よってその孝心(こうしん)を賞(め)でて、お前には人間と同じように、人間のたべている米や麦をたべることを許してやる」
と、いわれました。
ですからすずめは普だん着のまま田や畑をとび、人間と同じように米や麦をたべるようになったんです。
次(つ)いで、神様はつばめをお呼びになりました。
そして
「お前という奴は不都合きわまる奴である。お父さんが急病で苦しんでいるというのに、頬べにをつけたり、燕尾服を着たりおしゃれにうき身をやつし、時間におくれその死に目に会えぬとは不届至極(ふとどきしごく)、親不孝もいいところである。よってお前には罰(ばつ)として、ほかのものが食わない泥や虫を食うようにしてやる」
といわれました。
そのため、つばめはあのように頬べにをつけ燕尾服という盛装(せいそう)のまま、泥をついばんだり、虫をとってたべたりしなくてはならなくなりました。
それが悲しいのでしょう、そらまた「あっちいっちゃ泥くい、こっちきちゃ虫くい、ちーとも面白うない」と、いいましたね。
でも、神様はそれではつばめがかわいそうと思われたのでしょう。
すずめが家の軒下(のきした)にしか巣を作らないのに、つばめには人間の住む家の中の土間(どま)の上のはりや、納屋(なや)の中へ巣をつくることを許されました。
この、すずめとつばめのお話、古老(ころう)から聴(き)かされた話ですが、これは人間にもあてはまることで、昔の人はこのように形をかえて人のふまなければならない道を教えてきたのでしょう。
こうした話は大切にしたいものですよね。
それにしても、つばめの数が少なくなりました。
数年前までは歩いていても、さあーととんできて、つき当たるのではないかと思わせるほど飛び交っていました。
さびしいことです。
ああまた、つばめがさえずりました。
どうやら私に「もう起きよ」と、いっているようです。
今日も日本晴れのよい天気です。では私も床を離れることにしましょう。
つばめに「朝寝坊うー」と笑われないように。
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